07 Interview MASASHI OMURO
Part.2 産業医、大室正志が思うアートの存在とは
企業等において労働者の健康管理等を行う医師、産業医。メンタル面、フィジカル面において、働く人々がより良い働き方ができるよう、その道を誘導してくれる心強い先生である。前半に続き後半は、プライベートな話になるが、大室さんがこれまでアートや音楽などの文化にどのように触れてきたのか話を聞いてみた。社会の流れから派生する芸術は、どうやら我々の生活と切り離せない関係にあるようだ。(Interviewer : KANA YOSHIOKA)
―― アートや音楽など産業医の立場から見て、芸術は労働者の健康にどれだけ有効だと思いますか?
大室正志 個人的な意見になりますけれど、「アートは人々の生活を豊かにする」というのは気持ち的にすごく分かるんですが、ただし人類普遍の「美」のようなものはないと思っています。平安時代の人が月を見て「美しい」と感じたことは、現代を生きる人も同じことを感じているとか、夕陽を見て綺麗と感じることは、太平洋の向こうにいる人たちも同じように感じるとかよく言われるじゃないですか。なんですけど例えば、アフリカのある部族からしたら夕陽というのはある種の恐怖の象徴なんですよ。何故なら日が暮れるということはハイエナがやってくるから恐怖でもある。そういう場所では夕陽を怖いと思ってきた人間の方が生存確率は高い。人間の欲望の基本は「生存」、「死への恐怖」ですが、テクノロジーの進化度や住んでる場所によって同じものでも異なって見えるということがたくさんある。そういった背景もあって、僕はその違いにアートから多くのことを気付かされることが多いんですが、だからアートも「普遍的な美」というような方向よりも、複雑な問いを投げかけてくるような作品の方が個人的には好みです。
―― 同じ内容のアート作品でも、見た人によって捉え方は異なりますものね。大室さん個人としては、アートはどのような存在として捉えていますか?
大室正志 僕個人がアートに対して面白いと感じる部分はふたつありまして、宮台真司さん風にいえば「意味」と「強度」です。意味というのはアートが持つ知的なゲームの側面とでも言いますか、現代アートはゲームのルールブック(=アート史)を理解した上で、「何故、今これをここに置きに来たのか」という説明ができないといけないという種目(?)ですよね。音楽に例えると、一流のDJたちが行うB2BのDJプレイに似ているなと思っていて、この曲の次に何故この曲をかけたのかということを一流のDJであれば、「ただなんとなく」ではなく、ちゃんと明晰に説明できると思うんです。それを僕は一種の知的なゲームだと思っているんですが、アートに関してもアーティストの人たちは、「こういう時代背景を鑑みながら、このタイミングでこれを置きにきた」というコンセプチャルなコンテクスト設計が重要ですよね。だからDJのB2Bのような知的でエキサイティングなゲームをアートに対しても感じています。それが僕がアートに惹かれる部分です。
―― DJのB2Bと比較されるとは、面白い視点ですね!
大室正志 だから西洋中心精神主義であるアートヒストリーの中で、日本という辺境の島国で独自の発展を遂げたアニメ的なものを西洋のアートシーンにどう落とし込むか。例えば村上隆さんのしてきたことは、確実に戦略的じゃないですか。そういったある意味で知的なゲームをすること、それはもしかしたらファッションで言えば、シンメトリーの逆を美しいと表現したコム・デ・ギャルソンもそうかもしれないです。だからアートというのは価値観の闘争であり、権力闘争みたいなもの。そういう意味では豪華絢爛をばっさり切って、ミニマリズムをやってのけた千利休もその1人ですよね。当時の殿様からしたら「これが格好いいのか?」と思う中で、千利休がやるとそれが一番イケているという感じになった。そういったある種の価値観の権力闘争の中で起きるエキサイティングで知的なゲームは、現代アート業界ではよく行われていることですよね。ただそんな中で美術館に展示されている作品で、僕のような頭でっかちな人間でさえも、そんな知識やいろいろなことを忘れさせてくれる「強度」を感じさせる作品がある。強度といっても感じるだけではなく、意味のあることに対するリスペクトもありながら、一目見ただけで強度を感じさせてくれる作品というか。僕は美術館へ行くと多分その両面でアートを楽しんでいるんだと思います。
―― 強度のあるアート作品というのは、わかりやすく言えばモナ・リザのような作品になりますか?
大室正志 そうですね。その絵1枚の力で、その空間の空気を一変してしまう凄さを感じさせてくれる作品というか。例えば自分の場合、美術の教科書では特に何とも思わなかったモディリアーニの作品をパリのポンピドゥーセンターで見たときは、その何とも言えない存在感に目を奪われた経験があります。アートヒストリーを学んだ上でどうこうというよりは、異なった体験でしたね。それはアートを鑑賞する際の「意味」と「強度」のバランスなのではないかなと思っています。あとサブカルチャーと現代アートって近いところにあるように感じますが、僕はやはり似て非なるものだなと思っているんです。サブカルチャー好きな人は、あの時代にこれが流行ったなど、とにかく「記号」が好きな人が多い。だけど現代アート好きな人は、話がもっとフワっとして抽象的思考の人が多いイメージがあります。昨今、現代アートの世界でもサブカルチャー的なアイコンが多く使われるので、同列に考えたくなりますが、サブカルチャーは具体の積み重ねで成り立っているので、この具体を抽象化するという作業が行われることで、はじめて現代アートの文脈に組み込まれるんじゃないかと思います。
―― 先ほどDJが例にでましたが、音楽もお好きでいらっしゃるんですね?
大室正志 音楽は子供の頃から好きですね。僕は山梨の河口湖の出身なんですけど、東京に住んでから思うとリゾートっぽいイメージですが、当時住んでる中学生からみたらまあ田舎ですよね(笑)。当時は情報があまりなかった中で、高速バスで東京へ珍しいCDを買いに行ったりしていました。小学校の頃に初めて買ったCDは、山下達郎さんの2枚組のライヴ盤CDです。山下達郎さんの「クリスマスイブ」を聴いて、その曲が欲しくて買ったんですが、その中に「クリスマスイブ」は入っていなく、残念に思いながら聴いていたら好きになっていました。そこから先輩筋に当たる山下達郎さんから大瀧詠一さんを聴くようになり、そこからフリッパーズ・ザター、ピチカート・ファイヴなど渋谷系と呼ばれる人達の音楽を聴くようになりました。高校生の頃に、ピチカート・ファイヴのライヴが日比谷野音であったので、山梨から友達と行ったこともありましたね。それでその後にクラブへ行こうと渋谷のCAVEへ行き、そこで知り合った女性から沖野修也さんがやっているTHE ROOMを教えてもらいました。それからはTHE ROOMへ通うようになり、そこでクラブジャズ、ヒップホップジャズ、ハウスでも少しジャジーな感じとかを聴くようになりました。沖野修也さんの1stアルバムが出た頃、僕は研修医だったんですけど、実はスペシャルサンクスのところにM.Omuroって載っているんですよ(笑)。
―― 音楽もアートもお好きなんですね。
大室正志 そうですね。アートを買うことはそこまでしていませんでしたけど、高校生のとき、藤原ヒロシさんがバスキアを紹介していたり、当時、裏原ブランドだったアンダーカバーの紹介していたアンディ・ウォホールなどのオマージュのようなシルクスクリーンTシャツを売っていたり、入りは今考えるとサブカル経由のポップアートですね。1999年に草間彌生さんが東京現代美術館で開催した展覧会で、男根が無限増殖している作品を観たときには驚きました。草間彌生さんは男根恐怖症だった時期に、それを遠ざけるのではなく無限増殖させることで意味を無効化し、その恐怖心を乗り越えたと言われていますが、こういう抽象化して強度のある作品へ落とし込む手法に触れることで、「これが現代アートなのか」と感じたことを覚えています。
―― アートや音楽は現代の人々の中に、どれくらいの割合であったらいいなと思いますか?
大室正志 好きなアートに関しては、何故この人がこの時代にこれを描いたのかなど、作品に関してはいろいろと語りたくなりますよね。僕個人としては、そういうことを話すのは好きなんですけど、その一方で自分の好みを表明することが、年を経るごとに難しくなってきているなとも感じています。いろいろと意見はあると思いますが、僕らの世代のサブカルの御作法というのは、音楽やファッションでも特にメジャーなものに対して「嫌い」を表明することによって自分のアイデンティティを形成していくのが当時の主流だったと思うんです。だけど今は「嫌い」を表明することで自分を表現するみたいなスタイルは、時代に合わない。嫌いを表明して無駄に人を不快にさせるようなことは、立場がある人であれば尚更しにくいし、そもそもそこにある種のカウンター的な美意識を見出す人が減ってきている。こういう時代には好みを表明するにしても「嫌い」ではなく、むしろ「好き」を表明した方が、まあ安全だなと思うんです(笑)。その好きを表明するときに、説明に便利なツールとしては先ほど話をした「意味」と「強度」です。だけどその好きを表明することに関してすらも、日本では苦手な人が多い。ただアーティストは「何故、自分はこの作品を出そうと思ったのか」ということを考え、表明し続けている方ですよね、今後は個人も企業も「自分がしたいこと」「我々がしたいこと」ということをどんどん表明していくことが必要な時代になるのではと思いますので、そのときには個人はもちろん、企業さえもアーティストの思考法に見習うべきところが増えるのではないかと思います。
―― 今後は企業にしても個人にしても、自分たちが何者なのかを表明していくことが必要な時代になってくると。そうなると、自分らしく生きやすくなっていくのかもしれませんね。
大室正志 外資系の企業だと、面談のときによく「あなたは何をしたいの?」っていうことを聞かれるんですよ。その方のやりたいことから逆算して、「じゃあ、こういう目標でやっていきましょう」という考えだと思うんですが、昭和型の日本企業だと「やりたいことを表明するなんて100年早い」「やれといったことをやればいい」という封建的な考えがほとんどだったんですね。だけどこれからは「あなたは何をしたいの?」から逆算して行動するという、誰もが自分は何をやりたいのかを考える時代に入っていく。日本だと我が強い人はあまり好かれないですけど、これは世界的な流れでもあるので、若い世代では普通になっていくことでしょう。そんな時代には、自分が理解できている人は生きやすくなるかもしれないし、自分のやりたいことがない人は「やりたいことを見つけなきゃ」というプレッシャーを感じるようになるとは思います。
―― 産業医として、または個人として、大室さんがこれからやっていきたいと思うことは何ですか?
大室正志 先ほどから人に対してのことはあれこれと意見を述べてきたんですけど、自分の友人には起業家とかが多くて、皆さん変えたい未来とかなりたい自分がある中で、そこと比較すると自分はやりたいことが「ない側」だなと最近気付きまして(笑)。ないんですよ、あまり。例えば起業家の友人達を見ていると、皆登りたい山があって、その頂上へ辿り着くために最短距離でどうやって登っていくかをプランしている人たちが多い。だけど自分はそんなに登りたい山がないという(笑)。だから僕の場合はハイキングですね。社会を俯瞰して観察して、景色が楽しければそれでいいという。だけど面白い機会には参加できるように、自分が何者かを説明できる程度の専門性とかネットワークは作っておきたいとは思います。
―― 最後になりますが、「STRAYM」についてどう思いますか。
大室正志 音楽の話になりますけど、かつてクラシックを聴くということはヨーロッパでは貴族がやることでした。演奏家を家に招いて音楽を聴くというようなことでしたけど、今は専用のホールがあって、そこへ出向いて多くの人たちが音楽を聴いています。つまり民主化されたわけですよね。それと「STRAYM」は似ていて、みんなで応援できるという仕組み、イコール民主化されたという意味だと思うんです。それまでは無理だったかもしれない、自分が応援したいと思うアートの共同オーナー権を持つことは「何故この作品が好きなのか」とか改めて自分が何者なのかを知るためにも凄くいいと思うので、「STRAYM」のこれからがとても楽しみですね。