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11 Interview RYOICHI HIRANO

June 3, 2022
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古美術商の平野龍一が語る、作品が本物となるまでの“時間

東洋古美術を扱う平野古陶軒(東京・京橋)の3代目であり、かつてはサザビーズジャパンで代表取締役を勤めた経験も持つ平野龍一氏。生まれた頃から美術品に囲まれた家に暮らし、現在は、高額な古美術品を研究し、国内外の富裕層と取引をしている平野氏に「アートがある暮らしの豊かさ」について話を聞いた。インタビューを通して、NFTのような形を持たない作品と古美術との意外な共通点が浮かび上がってきた。(Interviewer : RYOHEI NAKAJIMA)

—— まず、3代目として現在代表を務められている平野古陶軒についてお聞かせください。

平野龍一 1936年の2月26日、まさに2.26事件のその日に、大阪で創業しました。東洋古美術商として祖父が始めたのですが、関東では事件が起きていた初日から2名のお客様が来店してすべて売れたそうです。幼い頃から美術にどっぷり浸かっていて、家に絵が飾ってあったり古美術があるのも当たり前でしたし、大人になったら家業を継ぐものだと思って育ちました。美術の知識を蓄えることは小学生ぐらいから意識していましたし、経済の視点も持つ必要があると思ったので大学では経済を専攻しました。

—— 大学卒業後には、画廊に就職されます。1994年なので、ちょうどバブルの崩壊した直後といった時期でしょうか。

平野龍一 父も同じなんですが、美術商はまず修行に出るわけですよ。銀行に就職して勉強してから家業を継ぐとか、他の業種と一緒で、家業と同業種の東洋美術を扱うところにはいけないから、私も最初は彌生画廊という近代絵画をおもに扱う画廊に入社させてもらいました。本当にちょうどバブルが崩れた瞬間ぐらいの入社だったので、10年ぐらいは企業からの美術作品の放出があって、かなり良質なコレクションを扱うことができた。それこそ、平山郁夫さんや高山辰雄さんといった大御所の先生と直接話させていただく機会もあって、すごくいい勉強になりましたね。他にも、梅原龍三郎、香月泰男、中川一政といった錚々たる日本の近代画家の先生方の作品に触れたほか、西洋もルノワールやモネ、ゴッホといった印象派、後期印象派を扱う機会もありました。

—— 彌生画廊には何年くらい勤務されたのでしょうか。

平野龍一 13年です。初めは5年ぐらいかなと思っていたけど、5年では何もわからない。10年ぐらい経つと美術商の仕事が深く見えてきて、それで13年働いたあと、平野古陶軒を父が一度閉じていたので再興するんですよ。京橋1丁目に店を構えて、人も雇いました。だけど、1年目にベアー・スターンズが飛んで、2年目にリーマンショックが起きて、4年目か5年目に東日本大震災ですから、きつかった。ただ、私は専門を中国古美術に絞ろうと考えてずっと勉強していたので、まさにその時期は中国古美術の価値が上がるところで、どうにか軌道に乗せて経営することはできました。

—— ちょうどそのタイミングで、サザビーズから声がかかったんですね。

平野龍一 このときの一番のモチベーションは、震災でしたね。日本は地獄のような状況だったから、日本の力を海外で見せて、暗い状況の日本を背負って立とうという気持ちがあった。オファーされたのが、中国美術のシニアスペシャリストというポジションだったのですが、中国美術のスペシャリストが何人かいて、シニアとなるととさらに少数の世界で5名ぐらい。それだけ重要なポジションを日本人に任せるなんてそれまであり得なかったことだし、自分がプライスリーダーになり、世界で一番の美術品が見られることは何より重要でした。

—— 勤務地は香港ですか?

平野龍一 香港に雇われるかたちで、ベースは日本です。オークションをやっているのは、ニューヨーク、ロンドン、パリ、香港で、その4箇所すべてに対してサポートをするのが私の役目だったので、その4都市はもちろん、アメリカの田舎だったり、ヨーロッパの別の都市だったり、作品があるというところには見に行って、査定するという仕事を続けていました。即座に査定するためには知識が必要だから勉強を続けていましたし、多いときには月に13回国際線に乗って移動していたから、体力が本当に必要でした。でも、中国の古美術の価値が上がっている時期だったので、自分が世界を飛び回ることで日本のプレゼンスをアピールすることができたと思うし、日本の美術業界と海外の美術業界の距離を少しでも縮めて、パイプを作ることはできたんじゃないかと思っています。

—— 各地の美術館とのつながりもできそうですよね。

平野龍一 そう、すごくラッキーでした。大英博物館とか、ヴィクトリー&アルバートとか、メトロポリタン美術館とかのキュレーターとも普通に話せたし、倉庫も見せてもらえた。向こうのキュレーターから、古美術品が見つかると「これってどう思う?」って時代や価値について聞かれることもあるくらいで、世界中に学ぶものも多かったです。

—— サザビーズに7年勤め、最後の2年は日本法人の代表取締役を務められました。退職のきっかけをお聞かせください。

平野龍一 サザビーズでやりたいこともある程度できて、やはり平野古陶軒に戻り、お客さんと直接話して、作品を前にして対話するような仕事にそろそろ戻ろうか、という気持ちになったのが、7年ぐらい経ってからだったんです。

—— では、平野さんがご自身で作品を購入するようになったのは、何歳ぐらいの頃からですか?

平野龍一 作品を買い始めたのは23歳ぐらいでしたね。就職した頃です。給料をもらって生活しながら買える範囲で、無名な作家のまだ金額の安い作品を買っていました。自分の予算と、あとは住んでいる部屋のスタイルに合わせて、コンテンポラリーの作品を買っていましたね。やっぱり美術作品を買うと、自分で選んで集めたものからは自分のテイストが出てくるから、それを飾った空間は自分にとって心地よい。作品を買ったら、部屋のどこに飾るか、どうやって額装しようか、と考えるのは当時からすごく楽しかったです。あくまでも自分のためだから、いくらで売れるようになるかとか、そう考えたことは一度もなかった。完全に自分のためですね。

—— 作品や作家、歴史について学ぶことと、実際にアートをプライベートで楽しむことが若い頃から結びついていたんですね。

平野龍一 とはいっても、本当に好きになったのは30歳ぐらいになってからかな、と思います。子供の頃から美術が当たり前のように存在していたけど、自分で作品をかなり購入するようになって、美術のことを哲学的にも考えるようになったし、それをどうやって仕事と融合させるかということを本気で考えるようになったというのは30歳過ぎてからですね。多分、知識が溜まっていって、そうなったんだと思う。彌生画廊の主人が、「絵は簡単に語りかけてくれない」と言うんです。ある程度、絵のポジションと自分が近くなると、ようやくちょこっとだけ話しかけてくれる、と。中国美術も日本美術もアフリカ美術も好きになって、あとはコンテンポラリーアートにもいろいろ興味が出てきて勉強するようになると、影響関係が見えたりする。そういうプロセスを経て本当に好きになっていったんですね。

—— 作品を購入することで、作家の活動をサポートするような意識もありますか。

平野龍一 そんな、僕がサポートするなんておこがましいですよ。作家は勝手に育っていくし、うちで藤田勇哉くんという作家の作品を15年ぐらいずっと扱っているんだけど、彼に関しては少し手伝っていると言えるのかな。必ず彼が最後まで絵を描き続けるようにしたいと思っているので、作品は全部買い取っているけど、10点ぐらい買ったぐらいでサポートなんていうのはなんだかおこがましい気がして。作家たちは命を賭けて描いているわけだから。自分が感じたことや学んだことを、作家自身が自分の中を通して指先から出したものが絵画だし、文字に起こしたら文学だし、楽器を通したら音楽、という感じで表現者が体を張って命を賭けているのはみんな同じですよ。そういうものに触れると自然と震えるものがあるし、それが世の中にどういう風に役に立つのか具体的には証明されていないけど、確実に役には立っていますから。

—— 幼い頃から美術に囲まれて、仕事でも多様な作品に触れ、作家ともコミュニケーションをとってきた平野さんの言葉だから刺さるものがあります。

平野龍一 美術は絶対に必要なものだとか、置いておけば空間がすべて変わるとか、そんな大袈裟なものではなくてもっと自然なものです。あまりにもみんながアートを特別視しすぎていないかなと思う。なくても生きていける人の方がずっと多いくらいだし。でも、例えば作品が家にあったら、それをずっと見ているわけではないけど、ちらっと眺めたり、古美術だったらちらっと触れてみたり、そういう瞬間というのは他に代えられるものがない。自分の中で密やかに何かが育っていくというか、刺激を受けていくというか、自分で選んだ絵が飾ってある部屋で暮らしている人と絵のない部屋に暮らしている人とでは、一見大きく変わらないかもしれないけど、でも何かが違うはず。それぐらい密やかなものなんですよ。

—— 平野古陶軒としては、そのように作品のある暮らしの豊かさを説かれているんですね。

平野龍一 ひとつ大切にしているのは、どこかで作品を仕入れたとして、絶対にすぐには売らない。絵だったら必ず家に飾るし、古美術だったら例えばテレビの横にスペースがあって、そこにある程度の期間置いてみる。チラッと見たり、その作品がある空間で暮らしてみて、ほんの少しでも自分が作品に近づけたと感じたら、ここにある文献で調べて、理解した上で売るようにしています。だから売ろうと思うまでに何年もかかる作品もありますし、どのように楽しんでもらいたいかをきちんと伝えたいから、そのやり方がいいと思っています。

—— 平野古陶軒では高額の美術品しか扱っていませんから、富裕層とたしかなコミュニケーションをとるために、ご自身が作品をきちんと見極めて理解することが大前提にあるんですね。

平野龍一 だから私は競合を同業のアートディーラーだとは思っていなくて、高級車や時計のようなラグジュアリーブランドだったり、ヴィンテージのワインだったり、そういうものと市場を争って、勝っていかないといけないと思っています。パテックの時計をつけるよりも、美術品を1点家に飾る方が豊かだよとアピールしないといけない。

STRAYM代表 長崎幹広 今お話を伺っていて、まさにそう思いました。浅はかな考えかもしれませんが、誰かがお金を持ち始めると急に高いお酒を飲んだり、綺麗な女性と遊んだりして、その後そこでモテたくなっていい時計を買ったりいい車に乗ったりするんだけど、その先にある美術品って、なかなか手の届かない世界というか理解できないから手が伸びないんですよ。でも、家に1枚絵を飾ろうかとなったときに、またストーリーが次につながるんですよね。競合はラグジュアリーブランドだと。まさにその通りだと思いました。

平野龍一 世界の美術市場は8兆円だとか言われているけど、競合を美術商だとしたらその中での奪い合いですよね。でも、ブランド物とかを入れたらマーケットはそんな規模じゃないから、そこに食い込んでいかないと自分は燃えてこない。ビジネスとしてうまくやらないと美術商としてはやっぱり失格で、儲けるのも大事。でもそこで、どのように哲学を守っていくかということなんですよ。

—— 美術作品も市場の形が変化を続けていて、ここ最近では、NFTへの注目が高まり、作品の価格も高騰しています。作品を購入し、モノとして一緒に暮らすことの豊かさを大切にする平野さんの目からご覧になって、NFTの価値をどのようにお考えですか。

平野龍一 前に現代アーティストの宮島達男さんが、講演で「現代美術は未来への実験室である」と言っていたんですね。本当にそうだと思う。新しい技術が出てきたときに、アートをやる人間だったらそれで何かをやってみたいと思うのは当然ですよ。そういうものをベースにした新しいアートが生まれるのは当たり前で、挑戦する人は応援したい。でも、全部が本物であるかというと、それはまた別。古美術の場合は、歴史を勉強し、知識と経験をもとに本物か偽物かを見極めるわけだけど、同じように現代美術にも本物も偽物もいっぱいあって、NFTにも必ず本物が入ってくると思う。ただ、そのフィルターがかかるのはやっぱり時代が経ってからで、そういう意味でも現代美術と古美術は決して乖離しているものではありません。

STRAYM代表 長崎幹広 NFT作品は、データを改ざんできないだけじゃなくて、みんなで監視して、そのデータに間違いが起こらないように永遠に残しましょう、というものでもあります。だから、古美術が歴史をたどり獲得した強度は、未来に残っていくNFT作品が持っているだろう強度と共通するんだろうと、お話を伺いながら感じました。

平野龍一 自分が結構大切にしている「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ(先人たちの異形の形骸を追い求めるのではなく、先人たちが理想として思い描いたものを求めなさい、の意)」という松尾芭蕉が残した言葉があるんですね。前に市川亀治郎さんが、今の猿之助さんなんだけど、彼が店舗に取材にいらしてくれて、インタビュー記事を日経に書いてくれたことがあるんです。その時に、私の祖父は、本当に美しいものは古いものでも新しく見えるものだと言っていた、と話したんです。そうしたら記事で猿之助さんは、「伝統を守るということは、古きをただ闇雲に遵守することではなく、古きものの中に永久不変の輝きを見つけ出すことではないのだろうか。だとしたら、この命を賭けて、この輝きを伝えいきたい」と書いていたんです。まさにその通りで、今まで自分が持っていた常識みたいなものよりも、もっと根幹にある、これが輝きなんだと思えるものを大事にしたうえで、形を今の時代に合わせていった方がいいと思う。STRAYMはそういう意識を持って展開を目指すビジネスなんだと感じるから、共同購入という形で一般の人がアートに触れるチャンスを提供したり、その根幹で考える輝きの部分を大切にしてほしいです。そういう哲学で続ければ、必ず何かが残るはずですから。

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